闘病記序章 | C型肝炎、原因不明の感染症 ― 支え、学び、そして再出発の軌跡
※本記事は筆者の体験記です。医療的な判断は必ず
主治医・医療機関へご相談ください。
【この記事の結論】
病は、前触れなく生活を変える。
でも、支えの中で「生きる」「働く」を組み直すことはできる。
この闘病記は、その“組み直しの記録”です。
この章の要点(まず結論だけ)
- 26歳の夏、C型肝炎の宣告で人生の前提が崩れた
- 仕事・学び直し・再発を繰り返しながらも、道を作り直してきた
- 家族、犬たち、そして支えてくれた人の存在が「踏みとどまる理由」になった
- 最終的に、フリーランスという形で“自分のペース”を取り戻した
26歳の夏、宣告
26歳の夏、医師の口から「C型肝炎」という言葉を聞いた。
まるで遠い誰かの話のように感じながらも、
体の中で何かが崩れていくのを感じた瞬間だった。
幸い、抗体ができたことで命は取り留めた。
だが、それを境に人生は大きく変わった。
コンビニ店長補佐としての日々
当時はコンビニの店長補佐として働いていた。
オーナーやスタッフ、常連客に囲まれ、忙しさの中にもやりがいがあった。
けれど、オーナーの経営撤退で店舗は閉店。
病気のことと重なって、生活に「区切り」がついた。
この頃から、私は少しずつ思い始める。
“この先、同じ働き方は続けられないかもしれない”と。
職業訓練で学んだ新しい道
27歳のとき、職業訓練校の情報処理システム科へ。
6か月間、HTML/CSS/JavaScript、Access VBA、Excel VBA、データベース設計などを学んだ。
「病気がある自分でも、手を動かして積み上げられる道がある」
その感覚が、暗い時間の中で小さな光になった。
新しい道を選べたことは、結果的に人生を確実に変えたと思う。
再び襲う病魔
C型肝炎の後も、36歳までの間に
少し無理をすると黄色ブドウ球菌による感染症を繰り返した。
体内に膿ができ、4〜6か月の長期入院を2年ごとに。
31歳ではマロリーワイス症候群で吐血し、また病院のベッドに戻った。
この頃には、企業勤めでWebシステム開発を続けながら
病と付き合うことの限界が、はっきり見え始めていた。
詳しい闘病記(入口・時系列)は別記事にまとめています。
詳しい闘病記は下記より
病と闘っている人たちへ教える立場になって
36〜37歳頃、就労支援A型事業所に勤務し、
精神障害を持つ方々へPCスキルやOffice操作を教える仕事をした。
「自分とは違う形で苦しむ人の力になりたい」
その気持ちで働いた。
ただ、現実とのギャップは大きく、
狭間で苦しみ、私自身も心を病むようになっていった。
“誰かを支える”には、まず自分が崩れない仕組みが必要だった。
病の合間に、再び働く
38歳を過ぎた頃からは、きっかけは分からないままでも
定期的な通院生活に落ち着いていった。
民間研修を経て、中小企業でWebシステム開発へ。
Java(Spring Framework)を使ったチーム開発も経験し、
体調を気遣いながらブランクを埋めていった。
この時期は、淡々と「戻す」時間だったと思う。
焦らず、壊さず、続けるために。
家族、そして小さな命
父を見送り、母と兄と支え合いながら暮らす日々。
その中で柴犬の小太郎が家族になった。
救われた、という言葉では足りない。
ただ、確かに“生きる理由”の一部だった。
小太郎は2014年に旅立ち、
その後、柴犬の豆太郎を迎えた。
今も小さな背中から、温もりと命の力を感じている。
支えてくれた人
忘れてはいけない存在がいる。
20歳の学生時代から36歳まで、苦しいときも傍で支えてくれた人。
感謝という言葉では足りない。
彼女がいなければ、今の私はここにいない。
「支えられて生きている」
その事実を、私はこの時間の中で何度も知った。
新たな一歩 ― フリーランスとして
2023年。
長い闘病と雇用の壁を経て、フリーランスとして独立した。
仕事とライフバランスを優先し、
自分のペースで「生きること」と「働くこと」を並べていく。
無理をしないことは、甘えではなく“前提”になった。
続けるために、そう設計する。
病を経て見えたこと
病は、奪うものばかりではない。
失って初めて分かることがある。
苦しみの中で出会える人がいる。
支えてくれる家族や仲間がいる。
すべてが、今の自分を形づくっている。
もし同じように悩みながら生きている人がいたら、
この言葉を届けたい。
💬 「生きることは、それだけで意味がある。」
🔗 関連記事・カテゴリ
あなたの人生に、光が差し込みますように。
―― Toshi
あなたの人生に、光が差し込みますように。
―― Toshi

