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26歳|C型肝炎と宣告されるまで(入院:1ヶ月〜)
この章は、26歳の時に「C型肝炎」と診断されるまでの記録です。
当時の自分は、病名の重さをちゃんと理解してたかと言われると…正直あやしい。今思うと、然るべき病院の検査ってそれだけで十分“サイン”だった。
発症前(普通に動けてた頃)
- 仕事の後にバスケ、草野球、サッカー、ダーツへ行くような生活だった
- 特別な体調不良は自覚していなかった
- 「元気」が前提で動いていた
膝のトラブル(闘病記の始まり)
転倒と腫れ
- バスケで転倒した時、ズボンが脱げないほど膝が腫れた
- 中学生の頃の前十字靭帯断裂(古傷)が影響していた
- 運動部時代より筋肉が落ちて、支えきれなくなったのが原因だった
再建手術(25歳)
- 25歳の時に整形外科で再建手術を行った
- この時点では、肝臓のことは一切考えていなかった(というか、頭にない)
金具除去で見つかった異常値(ここで話が変わる)
26歳、再建手術から1年が経過し、固定していた金具を除去する手術を受けるため整形外科へ。麻酔の為に血液検査をしたら、肝臓のγ-GTPとCRPが異常値だった。
- 異常値が見つかり、整形外科から紹介状を渡された
- 国立病院で診察を受ける流れになった
- ここで初めて「整形外科の話じゃない、少々不味いかな」と実感した
C型肝炎抗体の発見〜診断
- 血液検査の段階でC型肝炎の抗体が見つかった
- 肝生検を受けた後、C型肝炎と診断された
- 肝生検って何?…当時はそのレベルで、説明を聞いても流れ作業のようではあった
入院と治療(入院:1ヶ月〜)
主な治療法
- 点滴による対症療法(1ヶ月半程度)
- 食事療法などで経過観察
- C型肝炎との関係は不明だが、39度以上の高熱が1週間ほど続き、点滴などで対処した
数値の推移
- 入院中に抗体が働いた(可能性がある)と説明を受けた
- 徐々に数値が落ち着いていった
- 感染経路は不明とのことだった
家族(その間に起きたこと)
- 24歳:父が闘病わずか2ヶ月で亡くなった
- 25歳:兄が腎臓機能低下で人工透析が必要になり透析開始
- 自分については医師から家族へ通達があり、最悪の事態も想定した説明があった
- 父の出来事や兄の病状、自分、家族には精神的負担がかかった
自分の周り(生活面)
- 金銭面:怪我の保険や生命保険に加入していたので、治療に専念できた
- 家族の心労を目の当たりにして、交際相手に別れを告げたが結局別れられなかった
- 交際相手との判断は後悔として残ることになる
当時の記憶(残っていること)
仕事に穴を開けたことへの焦りは、ずっとあった。
でも当時の上司(身体障害者だった方)から「居場所」という言葉を軸にした短い助言をもらって、少し救われた記憶が今でも残ってる。
まとめ
- 肝機能異常をきっかけに検査が進み、C型肝炎と診断された
- 入院と治療の説明を受け、生活面の不安が一気に現実味を帯びた
- 体のこと以上に、周りや家族、仕事のことが頭を占めていた
- 後悔:結婚適齢期が近い彼女に対して、整理をつけきれなかった
- 唯一良かったこと:保険に入っていたことで、治療に専念できた
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治療に専念するための「備え」について
これは私自身の体験をもとにした参考情報になります。
必要であれば、今の状況に合うかどうかを確認する選択肢として。
記事について
▶ ③ 黄色ブドウ球菌感染症
次章では、28〜29歳で起きた黄色ブドウ球菌による感染症(入院:3ヶ月〜)の記録へ続きます。「またズボンが脱げない」…あの腫れから始まった話です。
◀ ① C型肝炎闘病記(闘病記の入口)
ABOUT ME
C型肝炎や感染症の闘病を経て現在通院中
フリーランスとして今日を生きる、それがすべて。 br>
静かな光の中で、歩みを止めずに生きていく。
実験大好きなので色々とやっていきます。