闘病記⑥|家族・仕事・お金…心労が重なった時期に「支えになったもの」を淡々と残す
この記事の位置づけ
闘病記 ②〜⑤の記事が「体の出来事」だとすると、⑥は「周りの出来事」です。
病気そのものより、生活のほうが先に崩れそうになる瞬間がありました。
この回は、その辺を淡々と整理しておきます。
家族の出来事
- 自分が24歳の頃、父が闘病から短期間で亡くなった
- 自分が25歳の頃、兄が腎機能の問題で人工透析が必要になり、透析が始まった
- そこへ、自分の体のこと(検査・入院・診断)が重なった
「順番に来てくれ」と思っても、現実はそうはいかない。
家族の顔がしんどそうなのを見て、余計に何も言えなくなる日がありました。
医師から家族へ通達
自分だけに説明されるのと、家族に伝わるのは、意味が違いました。
家族はすでに抱えているものがあったので、結果的に追い打ちになった部分もあったと思います。
※ここで「最悪の事態」の話も出ました。
今でも、あの空気は覚えています。
仕事の不安
入院して、仕事に穴を開ける。
これが想像以上に焦りました。
「体を治す」が最優先なのは分かってる。
でも当時は、頭の中がそんなに綺麗に並ばなかったです。
上司の言葉
当時の上司が身体障害者で、言葉が短くて、でも的確でした。
詳しいことは割愛しますが、残っているのは 「居場所」 というキーワード。
「戻る場所はある」
たぶんそういう意味だったと思います。
あの一言で、ほんの少しだけ呼吸ができた記憶があります。
“備えがある”だけで違う
金銭面は、正直かなり現実的でした。
ただ、自分の場合は怪我の保険や生命保険に入っていたので、治療に集中しやすかったです。
「これが正解」とは言いません。
でも、備えがあると、少なくとも“余計な焦り”が減る場面はありました。
うまく別れられなかった
家族の心労を目の当たりにして、彼女に別れを告げたことがあります。
ただ結局、別れられなかった。
その後、別れられなかったことを後悔する場面も出てきました。
ここは誰かの考えや正解に合わせたくないので、結論は書きません。
ただ、「迷いが残った」という事実だけ置いておきます。
生活を守るためにやったこと
この時期に思ったのは、こういうことでした
- 体調が悪いと、判断が雑になる(だから確認が必要)
- 家族に負担がかかる時ほど、言葉が出なくなる
- 仕事・お金・人間関係は、体調と一緒に揺れる
- だから、生活面は「仕組み」で支えたほうが早い(気合いじゃなくて)
次の⑦で、ここを「教訓/生活の工夫/保険」として
まとめ直します。
“備えの整理”
もし同じように「生活の不安(お金のこと)」を整理したい方へ。
これは体験談ベースの参考情報です。必要な方だけご覧ください。








